I'm Swayin in the Air

起業3年目を迎えました

僕とbloodthirsty butchers

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2013年5月27日、bloodthirsty butchersのリーダー、吉村秀樹氏が急逝。
25年間、最高の音楽を僕らにいつも届けてくれてありがとうございました。
僕はあなた達のファンで本当に良かったと思っています。
「どんな音楽が好きなの?」という質問に必ず、堂々と「ブッチャーズ」と答えてました。
これからもそう答えます。
そちらでも、いつものようにアンプぶっ壊すレベルの爆音を鳴らしておいてください。
エフェクター足りないと思うのでジミヘンあたりからパクってください。

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さてどうしようかな。何をどう書こうかな。何となく好きなアーティストが引退したり解散したり亡くなったりとかいうレベルの話ではないんだよな。なんだかかなしいとかいうレベルじゃない。でも僕はライターでもないし音楽業界の人間でもないただの一般リスナー。気の利いた追悼文なんか書けません。ただ、一般リスナーとしてはなかなか体験できないことも結構ありました。

自分の記憶も薄れ始めてるからそれを繋ぎ止めるためにも、そして僕が知ってる「ブッチャーズの意外な面々」を伝えるためにも書いておきます。ブログとしてはあまりにも長いし、内容もほとんどの人には関係ない個人的なものかもしれない。けど、ブッチャーズの(特に△時代の)ファンなら分かってくれる人もいると思います。そういう人向けに書きます。本当はまだまだ書きたいことたくさんあるけど。

未完成 僕とブッチャーズの出会い



未完成
未完成 [CD]


1999年。当時僕は神奈川大学に通う大学生だった。当時からギターはそこそこ演奏できた。で、my bloody valentine っぽいバンドやりたいなと思ってメンバー募集。そしたら産能大のギター弾けます女子から連絡があって仲良くなるなど。彼女はJインディーズやパンク系にとても詳しく、僕の知らない音楽をたくさん教えてくれた。その一つがbloodthirsty butchers。美しい建造物である産能大学キャンパスの音楽室で「聴いてみなよ。かっこいいよ」と言われたことを覚えている。

僕は帰りに町田駅に寄り、TAHARAで「未完成」とシングル「△」を購入してCDウォークマンに突っ込んだ。「△」一曲目の「サンカク」を聴いた時の衝撃度は本当にやばかった。3分03秒から続く切り裂くようなギターのフレーズ一発で完全にやられてしまった。ギターを弾く人間として、こんなフレーズが存在すること自体信じられない。2曲目「ピンチ」3曲目「時は終わる」も意味がわからない。曲の構成が意味わからないし、ギターで普通のコード鳴らしてる箇所が一箇所もない。ベースもドラムも聴いたことない。ベースこれギターのつもりで弾いてないか?倍音とアルペジオだらけですごすぎる。

このシングル聴いただけでもう僕は完全にファンになってしまっていた。そこからものすごい勢いで手に入るすべての音源を手に入れた。多くのファンが最高傑作にあげる「kocorono」そして「LUKEWARM WIND」。もちろんタワレコ限定シングルだった浅野忠信とのコラボシングルから何から何まで一気に購入してしまった。

ただ初めてライブにいったのがどれなのか思い出せないんだよな…。新宿リキッドルームは何度も行ってるし、渋谷クラブクアトロでイースタンユースやハスキン、DMBQとやってたライブにも行ったことは覚えてる。極東最前線だっけ。他にもシェルターのライブとかほぼすべて行ってた気がします。そしてファンの方ともファンサイト「サンカクヤマニノボル」を通じて仲良くさせてもらい、いわゆる熱狂的なファンとしてお金と時間を費やしまくっていた。

影響されてバンド結成


その後街を歩いてると、偶然高校時代同じ部活だったやつらと遭遇。彼らも音楽好きだったので、自分がbloodthirsty butchersにハマってることを伝えると彼らはもう高校時代から聴いていたと。おれにも教えろよ!

そして必然とも言える流れで3人組のバンドをそいつらと結成した。バンド名はどうでもよかったので、ふざけて仮名としてつけていた「スイへーリィベーズ」に落ち着いてしまった。せめてもう少しまともな名前にすればよかった。でも元素記号を用いて途中から「HHLB」と表記していたのでそれっぽくはなった。ちなみに僕はギターこそ弾けるけど歌は下手くそだし、ベースもドラムも初心者に近かったけど△スタイルに落ち着いた。ブッチャーズが共通項で結成したんだからそうなるだろ。歌が下手なところまで同じ。まさに劣化版ブッチャーズとして、ブッチャーズっぽい曲ばっかり作っていた活動初期。

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吉村秀樹、竹林現動、ケヴィン・シールズ。僕が愛するギタリストはみなジャズマスターを使う。だから僕も使う。

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うん、エモさ漂いまくってる



その頃、僕はもうブッチャーズのライブ常連になってた。ある日の渋谷クアトロライブ後にガラガラの飲み屋で飲んでいたら、なんとナンバーガール向井秀徳氏が飲み屋にきた。女子二人連れで(笑)僕らは酔った勢いもあり「一緒に飲みましょうよ〜」と強引に誘ったわけだが既に酔ってた向井さんは気持ちよく同席してくれた。

そこで僕はあろうことか持っていた自分たちの音源を向井氏に聴いてもらうという暴挙に。ほんと当時の自分の恥ずかしさを一切もたない行動力は思い返すだけでも怖くなる。今じゃ間違いなくできない。誰が聴いてもどうしようもない駄曲を向井氏はちゃんと聴いてくれて一言「おまえブッチャーズに影響受けすぎや!」と言われた。何という褒め言葉!あの向井くんからそんな賞賛の言葉を頂けるなんて!という考えに至ったことが明らかにおかしい。完全に劣化版ブッチャーズな音楽を作っていた。僕はそれだけで満足していた。

別に音楽を通じて世界に訴えたいこともないし、ロックンロールの使命も1mmだって帯びてない。原発も反原発もどうでもいい。自分の音楽で誰かの人生を変えたいとかそういう思いもない。ただ、ブッチャーズみたいな音楽を自分で演奏出来れば幸せだったのだと思う。何も考えてなかった。

yamane 最高傑作、登場


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yamane [CD]


20世紀に終わりを告げた「未完成」から2年。リアルタイムで初めて発表される Bloodthirsty Butchers の新作「yamane」を聴いた僕は予想を完全に裏切られて呆然としていた。メジャーテンションの明るい曲調である「nagisanite」や「Kaze」、シングル時とは異なりポストロック調にアレンジされた「no future」や軽快なインストの「wagamama no hotori」、壮大な構成の「燃える、想い」。確実にbloodthirsty butchersが見ている景色は変わった。

美しく狂気じみたノイズは少し丸く優しくなり、とてもメロディアスになった。リリース前の当時ライブの定番曲となっていた「Kaze」をちゃんと聴くとわかると思うけど、いわゆるAメロのメジャー展開->Bメロで一度マイナーキーにして->サビでわかりやすいメジャーに戻すというポップソングの王道展開の曲が登場した。今までブッチャーズの作品では聴いたことのないこの構成は後期の作品で次第に増えていく。これが映画「kocorono」の冒頭の吉村さんの言葉「もっと売れたいんだよ!」に紐づくのだと(勝手に)思っている。そして僕の中でのブッチャーズの最高傑作は「kocorono」でも「未完成」でもなくこの「yamane」だ。迷ったりもがいたり。そんな「揺らぎ」が一番滲み出ているアルバムだからだ。そこに感情を揺さぶられながら毎日聴いていた。

この頃から足繁く通っていたライブのこともちゃんと思い出せるようになる。今でも覚えているのが yamane リリース前に行ったリキッドルームでのライブ。何と隣の新宿ロフトでは cowpers が演奏していた。確か NAHT のレコ発だったかな。ふざけんな!一箇所にまとめろよ!というわけでブッチャーズを見た後にロフトにハシゴすることに決めたのだが、この時にやった「-100%」を聴いててなぜかわからないが号泣してた。別に感情的につらいこととか何もなかったのに漫然と聴いてたら涙が止まらなくなってしまい、目を真っ赤にしながら cowpers 観に行った。忙しすぎる人生だ。

HHLBのバンド活動も次第に本腰を入れるようになっていった。続けていると演奏技術も上がってくる。僕の曲を作るスキルも上がっていき、ライブでも少しずつ好評を博すようになっていった。あくまでもブッチャーズを軸にしてたけど、微妙にエモっぽいエッセンスを取り入れたりして一部の人達にはだいぶ好かれていたかもしれない。

yamaneツアーの前座として僕らは長野へ


そして2001年の8月くらいだったかな。bloodthirsty butchers はyamaneのレコ発ツアーを発表。驚いたことに「各地の前座バンドを募集」していたのである。ブッチャーズのライブといえばせいぜい東京、大阪、名古屋、仙台、札幌くらいだったが、この時が滋賀や九州なんかも含まれていた気がする。そして、長野も。

僕らにしてみれば「ブッチャーズと共演できるかもしれない!」と思うのは若さ故に。もちろん前座に応募しよう、と。しかし、まず東京は募集自体がない。で、東京から一番近いところが長野だったので応募箇所はそこにした。別にどこでもよかった。応募することに意味があったから。

あと僕らはその頃まともなデモ音源がなかった。これを機に僕は結構必死に曲を作っていった気がする。そしてそこそこのレコーディングをして音源を準備した。でも対バン募集の締め切りに全然間に合わないの。結局締め切り当日の朝にようやく自宅でミックス・ダウンとか装丁とかを間に合わせた。でも郵送しても当然間に合わない。「やばいかな…」と思いつつ、僕はほとんど条件反射で電車に飛び乗ってリバーランまで直接届けることにした。事務所に到着してチャイムを鳴らしても誰も出なかったので玄関前に音源置いておいた。ほんと当時の自分はいったいどれだけ勢いで動いていたのか…。頭の悪い大学生丸出しだ。

いずれにせよ僕は「応募した」という事実だけで満足していた。だって、続々と発表される各地の対バンがヤバイんだもん。大阪でジルコニウムが選ばれるなど各地で僕でも知ってる有名なバンドが選ばれていた。まさかそのラインナップにHHLBが選ばれるなんて誰も信じない。自分だって信じていない。そんな感じで鼻くそをほじりながら学生生活を過ごしていた。

そしてツアー開始の2週間くらい前かな。確かサンカクヤマの掲示板でマツさんが僕宛に「早くブッチャーズの公式サイト見てみなよ!」と呼びかけてくれている。するとサイトには「HHLBの人連絡ください」という一文が。

「あ…これ決まった…やべえどうしよう…」と思いながら即電話。出てくれたのは茂木さんだったかな。「長野の前座やって欲しいんですけど、直前だけど大丈夫ですか?」と。僕はメンバーのスケジュールも確認せず「はいOKです!」と回答した。さあやばいぞ。まさか選ばれるなんて思ってなかったから全然練習してない。残された日程は僅かしかなかったけど僕らは必死で練習した。たぶん人生で、たった30分のためにこれだけ事前に集中して何かの準備・練習をしたことはなかったと思う。

そして当日。もうよく覚えてないんだけど、かなり早い時間に長野駅に到着。


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写真見るとこれ朝方なんじゃないかな…。確か長野駅近辺をうろうろしていた覚えはあるんだけど具体的なのは忘れちゃったな。その後が印象深くて。



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会場に出されたフライヤー。このフライヤーを見た時の僕の気持ち、想像できる?bloodthirsty butchers に憧れてバンドを作って、たった2年弱で同じステージに立てたこの高揚感。どう説明すればいいんだろう。もうこれだけで「あー…今日最高だわ」とただただ悦に浸ってたことをほんの少し覚えている。

ブッチャーズご一行様よりも早く会場入りしスタッフさんに挨拶。ライブハウスJさんもブッチャーズのライブをやるのは初めてで、僕が「ギター10本くらい持ってくるんじゃないですか?」って言ったら「え!」とかなり慌てふためいていた。そりゃ驚くだろう。

先にリハーサルを行なってブッチャーズの到着を待った。はず。実はこの時の記憶が完全に欠落している。ブッチャーズが好きで好きで仕方ないけど、当時の吉村さんはマジで怖かった。憧れてて、怖い。とてもまともに挨拶なんかできなかったんじゃないだろうか…。

記憶にあるのはブッチャーズのリハを外で聴いていた時だ。「時は終わる」を演奏していて震えっぱなしだった。外で聴いてるのに。今吉村さんがあの轟音ギターを鳴らしている数時間後に僕がギターを演奏すするのかと思うとちょっと普通じゃいられないに決まっている。結局本編では「時は終わる」演奏しなかったけど。とにかく、リハが終わった。

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楽屋の風景。吉村さんいったい何をやってるんだろうか…。紐を顔面に結んでいる。まあこの時点でわかると思うけど、吉村さんに抱いていた「怖い」という印象はなくなってる。この頃の楽屋の写真なんてまあまり出まわってないから貴重だぞ。目に焼きつけとけ。

そして僕らの演奏時間になった。お客さんはお世辞にも多くない。ただ、始まって最初の音出した時に「あ、今日調子すっげーいいわ」と演奏しながら自覚。いや別に歌はいつも下手だしうまくなりようがないから仕方ないけどギターの抜けが最高だった。

その日の動画。いやあ…改めて僕歌ヘッタクソだなあ…。そしてギターは良い音出てる。良い音というか僕の好きな音が出てる。とにかくこの日は過去最高のライブができた。というか後から振り返るとキャリアで最高の演奏だったと言える。

 

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途中MCで「ブッチャーズの前座ができて嬉しいですありがとうございます!」って言いたかったんだけど「ブッチャーズ」と言えばいいのか「ブッチャーズさん」と言えばいいのか迷った。ファンは「さん」づけて呼ばない。でも共演者はファンじゃないから「さん」づけするのが普通。僕は後にも先にもブッチャーズのファンだから「さん」づけするのはおこがましすぎる。結局「ブッチャーズの皆さんありがとうございます」という玉虫色の表現をしていた。すごくどうでもいいことだった。とにかく僕らは調子が良かったので大満足だった。

終わった後、たくさんのお客さんから「すごく良かったよ!」と言ってもらえたのが僕は嬉しかった。別にお世辞でも嬉しい。物販用に持ってきた音源もたくさん売れた。自分たちの作った音楽が売れるのがこれほど嬉しいとは思わなかった。知り合いは誰もいなかったから「知り合いだから買ってあげる」という人は一人もいない。ライブの疲れと演奏後のリアクションの嬉しさで何か幸せ過ぎてぼーっとしてた。

そしてブッチャーズの演奏開始。さすがにお客さんも結構入ってきたけどやっぱり少ない。でもこの日のブッチャーズもすごく良かった。happy end から始まってずぶずぶと「yamane」の世界に引きこむ。途中に入るyamane以外の曲も「襟が揺れてる」などディープな曲でファン歓喜。

ほどなくして吉村さんのMC。ここで僕にとって信じられないことが起きた。お客さんにお礼を言った後「あとは…スイへーリィベーズ…ありがとね。うん…良かったよ」ほげええええええ!褒められた(泣)!MCで!吉村さんが俺たちのことステージから褒めてくれてる。Bassのカリャくんが調子にのって「ありがとうございます!!!」と叫んだら吉村さん、






「いやいやいや…ほんと褒めてんだって。曲が、曲が良いよな〜」




え。。。




ここで僕完全に昇天。吉村さんが、自分が作った曲を「良い」って言ってくれてる。わかるかこの絶頂感。あのジャイアンが褒めてるんだぞ。しかも曲を。どこぞの知れない単なるアマチュアバンドの曲を褒めてる。いつも僕は言ってるけど、この瞬間がたぶん人生で一番幸せだったと思ってる。これまでそんな幸せ味わったこともないし、たぶんこれからも無い。

絶頂過ぎてその後のことはほとんど覚えてない。だけど「ピンチ」が死ぬほどかっこよかったことだけは記憶に残ってる。たぶんこの時のブッチャーズの動画はメンバーが持ってるから今度見せてもらおうと思ってる。MCで僕褒めてくれたところだけ切り取ってYoutubeにあげようかな。ま、そんなこんなでブッチャーズの演奏も終わり僕らは一緒に打ち上げ飲み会に参加させてもらえることになった。ブッチャーズの前座を努めることができて、一緒に飲むことができる。幸せだ。さあ、憧れの吉村さん一緒にいきましょう!どこですか!











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何やってるんですかw



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誰かが撮ってくれた吉村さんと僕。この写真は、僕の人生でもっとも大切な1枚。もっとカメラ向いて写りたかったな。



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「△」のCDにサイン入れてもらってる僕の嬉しそうな顔やばい。実家にあるんだよなCD。この頃いつもサインは「yoo」って書いてたけど最近でもそうだったのだろうか。




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茂木さんと吉村さんとカリャ。

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こまっちゃんとカリャ。

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射守矢さんとカリャ。



というか飲んでる時の写真僕写ってないじゃないか!誰だよ撮影係。色々な話をたくさんした。吉村さんは大半が何を言ってるのかわからない。一番覚えている吉村さんとの会話は「あの曲のコードどうやって押さえてるの?」吉村さんおれが作った曲ちゃんと聴いてくれてるよ!ちゃんと聴いてくれた上でコードの押さえ方聞いてきたよ。僕は泣きそうになってた。憧れまくってるアーティストとギターワークについて語り合えるなんて絶頂過ぎる。

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飲み終わってメンバーさん、スタッフさんと一緒に撮った一枚。


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吉村さんが書きなぐっていた内容。「CDも点字」ってどういう意味だ…。あの人のことだから、もしかしたら耳の聞こえない人にも音楽を届けたいとか思っていたのかもしれない。


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さらなるカオスの殴り書き。この鳥はKARASUかな。カニはどういうことだ。名前の部分に「吉村シレピ」と書いてある。もしかしたらレシピのことか?この時34歳だったのか。

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セットリストに色々書かれている。KAZEの薬?WAGAMAMA NO HOTORIは父母のこと?そしてプールサイドはスタジオの名前!?え?そうなの??謎が深まる殴り書き。こんなの僕らしか見てないよたぶん。



こうして夢の様な一日が終わった。この後HHLBはブッチャーズ共演効果もあってちょっとしたバブルっぽいことになるが、吉村さんとは関係ないので割愛する。そして約2年後にドラムの脱退に伴いHHLBは解散。思い出深い4年間だった。

ベストライブは FUJI ROCK'10 と未完成再現ライブ


ちょうどひさ子さんが加入し始めた頃から、仕事の都合だったり個人的な事情だったりで次第にライブから遠ざかるようになってしまった。今となっては本当に後悔している。ブッチャーズだけじゃなくて音楽自体に離れていたが、転機になったのが2010年FUJI ROCKだった。ブッチャーズを観るのは本当に久々だったのだが、この日のブッチャーズは凄まじかった。ひさ子さんが加入した凄さを今更知ることになった。

FujiRockFestival'10 day2個人的レポ

これを機に僕はまたブッチャーズのライブに足繁く通うことになった。遠出こそできなかったが、都内のライブは都合つく限りいくようになった。その中でもっとも印象に残っているのが未完成再現ライブだ。

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世界的に流行っている特定のアルバム再現ライブ。「未完成再現」が決まった時僕は本当に快哉を叫んだ。HMVわかってるじゃないか。そう、kocorono再現ライブじゃなくて未完成の再現こそ本当のファンにとって貴重であり意味のあることなんだよ!ファンはHARAKIRI KOCORONOツアーで観てるし!と思ってたんだけど蓋を開けてみれば吉村さんのMC、



「最初はさ…kocorono再現ライブやってくれって言われたんだよ。ふざけんなよほんとに!誰がそんなのやるかよ!ってキレてさ。で、おれ言ってやったのよ。『未完成だったらやるよ』って」



やっぱりそうか(笑)ひねくれてひねくれて。でもファンを愛してくれてファンから愛されまくってた吉村さん。後期のライブではいつもMCで「ほんと来てくれてありがとな」と毎回のように言ってた。この日も言ってた。未完成再現ライブは最高だった。曲順通りはもちろんのこと「プールサイド」での冒頭「ばかな、やくそくを した」まで再現。最後の「△」も当然アルバムバージョンだから、曲後半の永久に続くような音圧の連続。そしていままで一切のアレンジを加えてこなかったのにこの曲で猛烈なハードコアアレンジになってみな観客唖然。すごかった。

今まで何十回とブッチャーズのライブにいった。「ベストライブは?」と聞かれたらやはりこの2つを僕は掲げる。

R.I.P


2013年5月28日の深夜。Twitterの一部TLが明らかに不穏な空気になっててものすごく嫌な予感が。ほどなく後に、昔本当にお世話になった方からDMで「電話が欲しい」というメッセージ。これはもう確実に不幸が起きてる。事実を受け止める自信がなくて正直電話したくなかったけど、いくつかの覚悟をして連絡。

そして、bloodthirsty butchersのリーダー、吉村秀樹氏が生涯を終えた、と聞いた。泣くかと思ったけど全然泣かなくて、むしろ「ふざけんな!」とか思ってた。だってyooさん数日前にTwitterで


って言ってたじゃん。どうすんだよこれ。早く起きろよ!Jマスシスモデルのジャズマスター使いながら「おれもアーティストじゃん?だから他のアーティストモデルのギター使うのどうかと思うんだよね」とか言いながらステージで毎回それ使ってたじゃん。新品だろそれ?弾かなくていいのかよ。

「いつ死ぬかわかんねえんだよ」「生きるということはステージに立つということ」「伝説になっちゃダメなんだよ」全部矛盾してるじゃん!



亡くなってから3日後の5月30日14時、ついに公式サイトに「訃報のお知らせ」が発表された。本当だった。ずっとサイトをリロードしてたんだけど、だんだんサイトからライブ情報が消え、真っ白になり、トップからも情報が無くなり、そしてお知らせ掲載。いったいどういう方法でサイト更新してるんだよ…。今時そんなの一発で全部更新しろよ…おれその流れ見てて心臓止まるかと思ったぞ…。

たくさんのアーティストが追悼の言葉をツイートしたりブログに書いていたりした。いずれまとめたいと思ってるけど、本当にどこまでもミュージシャンズ・ミュージシャンだった。

 

 

 

 

 

 

最後に


一番最初に載せた写真は所沢航空公園で開催された Otowa Music Festival’12 での一コマ。自宅から近い場所でやってたフェスにtoddleやmiaouが出ていたのでふらっと行ってきたら吉村さんと会えた。僕からじゃなく、吉村さんから声をかけてくれた。「元気か?」「久々だな?」吉村さん、痩せたし風貌も変わったけど話し方も優しさも全然変わってない。ひとしきり挨拶しこの写真を撮ってもらったあと、吉村さんはずっとお子様の写真を撮ったり手をつないで人がそれほど多くない会場を歩いたりしていた。すごく幸せそうな風景だった。あの景色を見られただけで僕も幸せな気分になった。

吉村さん、また会いましょう。