祖父が他界して約1年。

小1〜高3まで同居していたんだけど色々あって別居して。その後頻繁に顔を合わせることはなく、数年に一回くらいのペースで会っていた。彼は90歳を超えてもなお意識がはっきりしていて、相変わらず将棋を平手で打つと僕より強かったことを覚えている。

僕が結婚した時にご祝儀をたくさんくれた祖父と祖母。離婚してしまったので謝りにいった時のことだ。今から7年くらい前だったろうか。自宅に行き普通に経緯を報告。その後は世間話をしていたんだけど、帰り際バス停までいく僕を祖父が「見送る」といいバス停までついてきてくれた。

バスを待ちながら祖父は僕に対して「まあ離婚は仕方ないな。お前もわかってるだろうけど、そういう血をひいてるのかもしれないな、はっはっは」と豪快に笑い飛ばしていた。「お前もわかってる」の意味が何をさしているのか正直わからなかったし、わかりたいとも思わなかったので「そうだね〜」などと適当な相槌を返しているウチにバスがきて僕たちは別れた。

そのことについて再び話すことのないまま彼は大往生をとげた。結局あの時何を言いたかったのかはわからないまま墓場に持って行かれたわけだけど、たぶん知らない方がいいことはたくさんある。今さら両親や親戚にそれが何なのかを聴くつもりもない。それでいいのだ。


そんなぼんやりと考えていたことを思い出したのが、下重暁子さんの『家族という病』を読んだからであった。


 

若い時だったらそんなタイトルの本、手にとることすらなかっただろう。「家族」とは当たり前のようににそばにいて、ほとんどすべてのことを知っているはず。家族間とは9割の既知と、1割の隠し事。そう思っていた時期が僕にもありました。

いざ親元から離れて色々な体験をしたあとにふり返ると、実は知らないことの方が多いと痛感する。思い当たるフシがある人も多いのではないだろうか。当たり前と思っていたことが瓦解した時の心構えを人生の先輩である下重さんが教えてくれる内容になっており、とても興味深く読み進めることができた。

父、母、兄について様々な確執や思いが交錯したまま逝去。筆者は「あらん限りの想像力を駆使して」自分の家族について知ろうするが、やはり「すでにこの世にいない人ついて確かめることはむずかしい」とある意味であきらめた。「家族だから何も言わずともわかり合える」ことはないとあきらめた筆者が最終的にとった行動は「死んでしまった家族に手紙を書く」ことであった。

この瞬間こそが、この本のダイナミクスだ。今まで自分の家族のことだけではなく多くの人の例をひきながら「家族という病の最大公約数」を紐解いてきたのに、急激にパーソナルな内容を「手紙」という文体をとって読者にぶつけてくる。

今まで読み物として面白かったのだけど、手紙のパートになるとさすがにパーソナルな要素が強すぎて読むのがしんどくなってくる。でも、筆者はおそらくそれをわかって書いているだろうし、筆者にとって絶対に必要な要素だったのだろう。

「家族とは分かり合えない」ということを知った人にどういうアプローチをするのか?筆者は手紙というスタイルをとった。では、僕たちはどんなアプローチをするのか?そんな意識を駆り立てられる良書であった。

下重暁子
幻冬舎
2015-04-24




下重 暁子
幻冬舎
2015-03-25

 

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