I'm Swayin' in the Air

旅と音楽とフジロックとブラジリアン柔術

ポイ捨てをしない人生だった。そして失うものもそれなりにあった

image
====
たったいま、暗い夜の要町通りを歩いていたら、警察官が自転車に乗った一人の男性を呼び止めていた。「勘弁してくださいよー」と泣きそうな声を出している男性。よく見てみると、

・お酒を飲みすぎて酩酊
・自転車は無灯火
・タバコを吸いながら走行


もはや不正の大三元。ほんとしょーもないわけだが、なぜ人は

「やってはいけないとわかってるけどやってしまう」

のだろう。明らかに周りからバカと思われるよい大人なのに、なぜしないでいられないのか?しないためには何が必要なのだろう。考えてみた。

思い起こすだけでひどい


ところで思い起こすと自分もそういうことばかりしてきたのである。

小学校2年生のとき。「この指一本で世間を騒然とさせる!」とかわけのわからないことを言って火災非常ベルを鳴らした。チクられて先生にバレて死ぬほど怒られた。

高校生になったとき。その高校に入学した理由が

・通っていた塾にいた好きな女の子が進学すると知ったから

・校則が緩いらしいから


というどうしようもないものだったが、校則が緩すぎて中抜け(登校したあと、途中の授業を抜けて戻ってくること)しても許されると聞いていたのでさっそく友達と中抜けを試してみた。学校に戻ってきたら先生から呼び出され死ぬほど怒られた。反省文を大量に書かされた。まったく緩くないんだけど。

その後の人生でも色々やらかしてきた。でも、僕はタバコを吸っている時期こそあったけど、吸い殻のポイ捨てはたぶんほとんどしたことが無いのである。いやごめんゼロじゃないかもしれないどなるべくしなかったと思う。

理由は明白。僕の父親は元々公務員で環境局(通称は清掃局)所属で、口癖が

「浮気はしてもいいけどポイ捨てはするな、ゴミは分別しろ」

と言われ続けた。親父よ何言ってるんだ。なぜ許容の方に浮気を例に出しているのか今となってはさっぱりわからないけど、とにかく言われ続けたのでポイ捨てはしないようにしてる。浮気についてはノーコメントだ。

結論


というわけで冒頭の疑問に対する僕の回答仮説は「親の教育」こそがそういった軽犯罪レベルの「やってはいけないこと」をやらかしてしまうか否かの分水嶺になってるのではないか、というのを支持したい。

僕の親は非常ベルを鳴らすなとは言わなかった。普通の親も言わないだろうけど。もちろんそれはそのまま言えばいいわけではなく、

「人が困ることをしてはいけません」

という、より抽象化された言葉が必要なのだろう。そして、それを受け取る子供もその抽象を具体にきちんと置き換えて「してよいこと、いけないこと」を自覚する必要がある。

そのためには文章の理解や読解能力、空間把握能力が要求されるだろうから、やはり小さい時から読書をして文章力を鍛えないとツライ人生が待ってるはずなのである。そういう意味でも小さい頃から本を読むことは大切なのだろう。なぜおれは本を読まない人生を歩んでしまったのか。後悔先に立たないのである。