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Twitterアカウントを削除したよ。でも景色はなにもかわらない

ただのテキストだろ、あんなもん。そう思っておく。 160205-0001

 
 
3日前、使っていたTwitterのアカウントを削除しました。6年以上は使い続けてたんじゃないかな。とにかくほぼ毎日のようにログインし続けていたサービスを退会。まあ色々あってのことなんだけど、特に後悔もない。そして「デジタルデトックスできた!」みたいな達成感もない。
 
ふと一瞬だけ「あれ?Twitterどこいった?」みたいにスマホをスワイプする時はまだある。けど、すぐに気づく。そしてただ毎日が過ぎていく。僕は誰にリムられたとかそういうことにまったく気づかないタイプだった。けど、僕自身がアカウントを削除したら意外と多くの人が「Twitter消した?」とLINEなどで連絡してきて驚きました。みんなよく気づくね(笑) 一応心配して連絡してくれた人もいるみたいなのでブログに残しておきますが、なんとか生きてます。
 

99%の人はアルファにはなれない

ところで振り返ってみると、僕はインターネット業界で働いてる人間のくせに本当にTwitterの使い方がヘタクソだったと思う。
 
時々真面目なことを書いたり、そしてある時は愚痴ったり。かと思えば酔った勢いでくだらないことや下ネタを書いたり、ふと思い出したかのようにリアルの知り合いにリプを送ったり。投稿している内容のクオリティがバラバラだった。
 
リアル友達用なのか仕事用なのか半匿名なのか。どっちつかずのアカウントだったのもまずかったと思う。振りきれないアカウントは信頼性に欠ける。仕事の愚痴ツイートをみたら同僚が不快になるし、女の子ときゃっきゃしてるのを見たらパートナーはキレるだろう。
 
そんなどっちつかずな人間のつぶやきに価値なんぞない。Twitterはwebにゴミを撒き散らすことが許されてるような感覚に陥りがちだけど、僕は自分の出したゴミに埋もれ過ぎてしまい身動きが取れなくなってしまった感じ、といえば伝わるだろうか。
 
 

過剰な承認欲求とエアリプ文化、情報の洪水に依存していた

誰かからリプをもらったりファボられたりするのは麻薬的な承認欲求の満たされ具合だった。特に、尊敬してる人が僕のツイートやブログをシェアしてくれたときの破壊的な高揚感はちょっと表現できない。「自分で吸うためにつぶやきました」と自白しそうになるレベルだ。
 
でも僕はインターネット業界で働く人間である。そういう人間は自分がその高揚感を味わうのではなく、ユーザーに「味わってもらうため」のコンテクストやプラットフォーム作りに専念するべきなのだ。僕たちは裏方であるべきだ。そしてもう一つ。僕は「エアリプ」という文化をヘドが出るほど嫌っていた。言いたいことがあるならメンションで言えばいい。直接言われるより、隠喩的に自分のことを指している表現に出くわしたときのあのクソのような気分。
 
でも、Twitterのアカウント構造を考えたら発生するのも仕方ない。メンションの持つ意味は強烈だ。いちいち@付きで文句言う方がおかしい。そして、「知り合いはそんな発言をしていないだろうか?」と気になってしまいタイムラインやリストに張り付いてしまうという愚かさ。人生は有限なのに。

それから「誰が僕の発言を見ているのかわからない」というのも、ある時期からとても怖くなった。フォローされてるとは思えない会社の同僚などが僕のTwitter上での発言に言及している場に出くわしたことがあるけど、全方位に銃を発砲しまくりたくなる感情になった。「フォローこそしないけど、リストで発言はステルス的に見てるよ」という態度を寛容できなくなっていた。僕は何と小さい人間なのだろうか。

そういった唾棄したくなる感情と、麻薬的な依存性を持つ存在は確実に僕の生活を蝕んでいた。たとえば今度TOEICを受けることもあり英語の勉強をしている。あるとき単語の暗記をしていて「自分は大学受験時の時よりも、そして普通の人よりも暗記するスピードが遅いのでは?」と感じた。加齢か?バカなのか?いや、何のことはない。1ページ10単語覚えるたびに「疲れた」と言って、スマホを手に取りTwitterを開いていたのだ。大学受験のときはTwitterは無かったし、今は依存してるだけだ。完全に脳の逃避先になっていた。

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他にも決定的ないくつかの事が重なったこともあり、こうして僕はあっさりTwitterのアカウントを削除することに成功した。delete後、30日間は再ログイン可能らしいけど、そんな執行猶予みたいな期間なんて早く過ぎ去って欲しい。なぜアカウント完全削除ボタンが無いのか。相変わらずTwitterは秀逸なタイムライン以外の設計思想が意味不明である(公式アプリは「リスト」がネジマークの中に内包されており、Twitter社内のUXデザイナーは頭がおかしいのかと思った。ネジマークは設定系機能のみを配置するのがインターネットのマナーだ)。
 
アカウントを削除したからといって特に感情に何の起伏もないんだけど、前掲の文化圏から離れることができたこと自体は僕にとって良かったと今では思ってる。まあ端的にいうと、僕には向いていないSNSツールだったというだけだ。


 

これから

僕は文章がヘタクソなくせに、自分で書くことが好きだ。

Twitterもブログも等しく「書くこと」は楽しかった(Facebookは1mmも楽しくないし早く滅んで欲しい)。でも、ブログを書いて記事をTwitterにシェアすると、どれだけシェアされるか?みたいな評価が気になるようになってしまっていた。気づいたら僕はブログを全然書かなくなっていた。見られる、言及される怖さに耐えられるほどメンタル図太くない。というか弱い。でもTwitterをやめたおかげて「ブログに好き放題書きたいことを書きまくればいい、評価なんかどうでもいい」という心境になっている。良い傾向だ。次はどっかのタイミングでFacebookアカウントを削除すればなおさらQOLは上がるだろう。早く削除せねば。LINEは…まあさすがに消せないよね(笑)

「Twitter消したの?」と聞いてきた僕の友人の何人かに「どうして気づいたの?」と聞いてたんだけど「おまえのブログを読むときは、いつもTwitterのアカウントから辿っていた。今日も読もうと思ってアカウント探したら無かったから」と数人が答えていた。どうもありがとう。僕にとっては褒め言葉であり、とてもうれしい。一応死ぬまでこのブログに何かを書いていきたいとは思っている。

僕のブログを「Twitterを通して読んでいた」という人は、feedly追加やブックマークをしてくれると嬉しい。亀更新なので「更新通知を受け取りたい」という物好きな人は、ライブドアブログの優れた機能の一つに「LINEで更新通知を受け取る」というものがある。通知がウザければすぐに削除することも可能だから試してみてもよいかもしれない。なお今後、僕自身が能動的にこのブログをSNSにシェアしていくことはない。時代遅れのブログになっていくだろう。それでいい。このブログのアクセス数は3割がSNS経由だ。アクセス数も減るだろうけど、検索エンジン経由の比率が上がるということはそれほど悪いことではない。

以上ポエムでした。おやすみなさい。



樋口進
PHP研究所
2013-11-16