I'm Swayin in the Air

起業4年目

音楽の情熱、極まり迸る過去の感情

あああ。

もうダメだ。

耐えられない。












安西先生、バンドがしたいです…

もう本気でヤバイ。

バンドがやりたくてうずうずしている。

誰かこの衝動を止めてくれ。



思えばその昔。

mixiのプロフにも書いているが「スイヘーリィベーズ」というバンドをやっていた。

大学2年生くらいの頃だったろうか。

同じ高校・陸上部の1つ下の後輩であるカリくんとオノチに偶然町田で会った。

3人とも好きな音楽の共通項に「bloodthirsty butchers」があった。

同じ高校出身で、同じ部活出身で、同じバンドが好き。

もしかしてバンドをやるべくしてやることになったのだろう。



僕はギターはかなり昔から弾いていたが、パーマネントな活動をするのは始めてだったかもしれない。

ドラムのオノチも最初は素人だった。

ベースのカリくんもヘタクソだった。

僕のボーカルにいたっては結局解散するまでヘタクソだった。

最初はブッチャーズに似たような曲を作ってみんなで満足していた。

4曲くらい完成して、向ヶ丘遊園駅にある「IMU」というライブハウスにレコーディングをしにいった。

とにかく完成品として音源を残したかったんだ。

どうしようもない音源だったけど本当に嬉しかった。

そこでライブハウスのスタッフの人に「ライブに出てみませんか?」といわれてとんとん拍子でライブをやることになった。

曲が4曲しかないのに持ち時間30分では大変なことになる。

そこから間に合わせでもいい、と思って死ぬ気で曲を作った。

そんな中出来上がった曲の中には、解散ライブまで4年間毎回ライブで演奏した曲もあった。




初ライブはgdgdだったけど、熱いものは伝わったと思う。

ジャンルはどういえば良いんだろう。

個人的には激情エモーショナルハードコアだと思っていた。

当時はcowpersとブッチャーズしか聴いてなかったけど、最近ニコニコ動画を見ていたら、音楽性は実はイースタン・ユースに一番近かったのではないかと思う。

ま、そんなことはどうでもいいのだ。

とにかくそこから僕たちは全力で走りまくった。

スタジオに入りまくって曲を作りまくり、ライブにも出まくった。

最初は町田や向ヶ丘遊園の地元のライブハウスにしか出られなかったけど、だんだんと都心に近づいていった。

よくやったのは下北沢ERAと渋谷屋根裏かな。

イベントとかにも少しずつ声をかけてもらえるようになった。

とにかくライブが好きだった。



ブッチャーズが「yamane」という作品をリリースした。

彼らの偉大なる歴史の中ではあまり評価されていない作品かもしれない。

「kocorono」「未完成」という、日本のロック史上に燦然と輝く(もちろん一部の人に過ぎないと思うけど)作品に続くリリースであり「Happy End」「燃える、想い」などの新機軸な曲が多かったので、期待値の割には評価されていないのだろう。

でも僕はこの作品は「未完成」と同じくらい大好きだ。

「nagisanite」や「wagamama no hotori」がすごい好きだ。

この時期に新宿リキッドルーム(あの頃は恵比寿じゃなくて新宿にあった)で観たライブの「-100%」演奏中に僕は大泣きしたことがある。

涙ぐむとかそういうレベルじゃなく、本当に大泣きしていた。



で、彼らが「yamaneツアー」に出るときのことだった。

「前座バンド募集!」という告知をホームページ上に出した。

当時のブッチャーズは「ミュージシャンズ・ミュージシャン」といった感じで、アーティストからは絶大な尊敬のまなざしで見られることが多いけど、人気は正直あまり無いほうだったと思う。

よくナンバーガールと一緒にやっていた「harakiri kocoronoツアー」は、地方がナンバガ後ブッチャーズ前、大阪や東京ではブッチャーズ後ナンバガ前みたいな演奏順だった。

つまり単独だと地方では動員が厳しかったのだと思う。

そこで各所の地元バンドを前座として起用しようと思ったのだろう。



僕が過去憧れ続けたバンドである。

もし僕らのバンドが前座になれたら本当に死んでもいいと心から思った。

過剰とかではなく、当時は本気でそう思っていた。

ま、青かったわけですな。

とにかく、今自分たちができる最高の音源で応募したかった。

そりゃあ本気で作りましたよ。

で、つたない作品だけど完成した。

しかし、完成したのはなんと応募作品必着日。

郵送しているのでは間に合わない。

もう仕方ないので、ネットで事務所の住所を調べて直接持っていった。

インターフォンを鳴らしても出ないので玄関の前に手紙つきで置いていった。




しかし問題があった。

前座募集は地方での公演のみだったのだ。

そして僕らは東京のバンド。

まあ、ブッチャーズが僕らを選ぶ必然性はまったく無いわけだった。

そのことに気づくのは難しいことではなかった。

どこの前座か希望地を書く必要があったのだが、「一番近い」ただそれだけで長野公演希望にしておいた。

ま、正直どこでも良かった。

はっきり言って僕らが選ばれるとはゆめゆめ思っていなかったのである。

だから、ホームページ上で各公演の前座が発表されても、僕らの名前は一切出なかった。

「へー、福岡は●●かあ~、お!滋賀は●●●だ!」などと楽しんでみていた。

インディーズではそこそこ名の知れたバンドが選ばれていたからだ。

特にジルコニウムというバンドは音源も持っていた。

そんな中僕らが選ばれるわけもなかったのだ。

ただ関係者の人が少しでも聴いてくれるだけで嬉しかった。


ところが。



長野公演の1週間前、突然サイト上に「スイヘーリィベーズの皆さん、見ていたら電話ください」と書いてある。

なんだこれは???

連絡しろ、というのだから連絡したらあら大変。

僕らが急遽長野公演の前座に抜擢されたのだ。

ちょっと腰が抜けた。

ありえない。

裏を読んでみると簡単だ。

どうやら長野公演は決まっていなかったらしい。

たぶん応募が無かったのだと思う。

で、たぶん単独でやるつもりだったんだろうけど、僕らが東京からいけばまあ10人くらいはヘタしたら来るかもね、くらいのものだったのだろう。

1週間前だけどあいつらヒマそうだから呼んでみるか、程度のものだったかもしれない。

でも当時は本気で嬉しくて舞い上がって大変だった。

すぐにメンバーと集まって演奏する曲を決めて練習した。

バイト先に休ませて欲しいと連絡した。

自分たちのバンドのサイトに書いた。



そして当日。

我慢汁が出まくってる僕らは勢い余ってとんでもなく早い時間についてしまった。

さすが元陸上部の僕ら。

長野の町をなぜかみんなで全力疾走した。

落ち着かなかったのだろう。

そしてブッチャーズのメンバーが来た。

すぐに挨拶に向かう。

マネージャーさんから「急でごめん」みたいなことを言われた。

とんでもないです前日に声かけられても来ました。

そしてリハが始まる。

ブッチャーズが先である。

漏れ聞こえてくる音に震える。

「時は終わる」が最高にキた(本番ではやってなかったけど)。



そして僕らがリハをして、いよいよ開演となった。

平日の月曜日である。

当然お客さんはかなり少なかった。

そんな中僕らは出て行った。

ブッチャーズのみなさんも客席で見てくれていた。

全力で演奏した。

過去の自分たちのライブの中で最高の出来だったことはすぐにわかった。

それくらい手ごたえがあった。

お客さんは少ないのに、僕らは地元でも何でもないのに、告知期間なんてまったくなかったのにお客さんがすごいノってくれていた。

今までもらったことのないような歓声をくれた。

そして演奏が終わった。



ブッチャーズのメンバーの前で演奏できただけでもう本当に満足だ。

終演後、客席にいったらたくさんの人から「良かったよ!」と声をかけられた。

そしてブッチャーズの演奏が始まった。

yamaneの曲はライブでも散々聴いていたけど、小さいハコで聴くのはまた違って良かった。

そして途中のyooさんのMC。

「来てくれてありがとう」

(客)イエーイ!

「あと、スイ・・・へー・・・リィベーズ。おまえら良かったよ」

(僕)ブワッ

(カリくん。大声で)アリガトーゴザイマスッ!!!

「いやいや本気で言ってるんだからな。アレだよなあ・・・曲がいいよな…」



おれの作った曲が、憧れ続けた人に「良かった」って言われている!

信じられなかった。

あの瞬間、僕人生史上最高のカタルシスを迎えた。

もうすぐ31歳になるけど、あの瞬間を越えたことは一度もない。

この先もたぶんない。

そしてそのままブッチャーズは僕が始めて彼らの音源を買った「サンカク」「ピンチ」を偶然にも連続で演奏した。




だからあの日は僕の中での人生のピーク。

あの日から僕は落ちていく一方なんだ。

でもそれでいいと思っている。

そして今年の夏、僕の中のもうひとつの奇跡、my bloody valentineを観ることができたので音楽に関してもう十分だと思う。

僕は本当に幸せだと思う。



ただ。



なんか、最後に一花咲かせたいみたいな感情なのか、最近バンドをまたやりたい。

当時のような、持てる情熱を全力でぶつけたような曲は作れないけど、もう一度だけライブをやりたい。

今は色々あってできないけど、早く落ち着かせて気の置けない仲間を見つけて音楽活動をささやかながらに行おうと思っている。