I'm Swayin in the Air

起業4年目を迎えました

Twitterじゃ、人生を振り返ることはできない

半年ぶり、人生通算50回目くらいの「ブログとは何なのだろうか?」という振り返りをしている。 そして結論出ました。

ブログとは「備忘録」および「生存報告」

結論です。僕にとってのブログとはそういうことでした。最近多忙で更新できてなかったけど、それじゃ「生きてない」と同義になってしまう。ちょっと更新頻度あげてみようかなと。書きたいこと書こうよ。

老いた感性

41歳になったんだけど「最近自分は歳を取ったな」と痛感する。

体力的には趣味の格闘技のおかげで問題ない。そうじゃなくて感性や知性があきらかに退化してる。モンスターかよ。

音楽を聴いたりバンドでライブやったり作曲したり、アーティストのコンサートに行くことは今でも好きなんだけど、昔みたいに「熱狂的」に音楽を感じることができなくなってきたんですね。That's感性の衰え。

AC/DC『Thunder Struck』のイントロを聴いてゾクゾクしたり、There is a light that never goes out(スミスじゃない方。日本に20年前くらいにいたんです最高のバンドが)の音源を聴いて泣きそうになったりしてた。今ではもうそんなエモーティブになることは無くなってしまった。


AC/DC - Thunderstruck (from Live at River Plate)



There Is A Light That Never Goes Out - SURU


死ぬときに振り返りたい

でも一瞬一瞬では「うわ最高だなこの音源」と思うことは今でもある。


最近気に入ってる「おいしくるメロンパン」の音源

せめて自分が音楽を聴いて感情が揺れ動いたことくらいはブログに書いておくべきだろうと。自分が死ぬ前に、病床で自分のブログを一から読んで「あーあの時聴いたてたなあ。良かったよな」と思い出したい。だいたい忘れちゃってるし。振り返りはTwitterじゃ(構造的に)できない。


インスタで大切な人たちと過ごした時間をビジュアル的に振り返り、ブログで自分が楽しんでいた時間を文章として振り返る。悪くない人生だった、と思えるんじゃないかな。だから文章を書くことを止めてはいけない。

何かに気を遣って書くのをやめてると、本当に老いた時に「あれ?あの頃何してたっけ?」と思い出せなくなるに決まってる。毎月「後でやろう」思って結局やれなくなる交通費や領収書の精算と同じだ。つらい、つらすぎる。

経理の人ごめん、今はブログなんか書いてないで先月の交通費を精算しなきゃいけないんだよねほんとごめん。泣きたい。

誰のために書くのか

「読んでくれている人のためにブログを書く」のか「自分のためにブログを書く」のか。

どっちが正しいのかよくわかってないままここまできた。自分のために書いてると独りよがりの文章になって読んでる人は面白くないし(そういうブログは星の数ほどあるから僕が書かなくてもいい)、読んでくれてる人を意識すると「面白い文章書かなきゃ」と身構えてしまい筆が止まる。


「おひとりさまフジロックがあるじゃん」って?


もう最近はほとんど一人じゃないし、残念ながらフジロックは年に一回しかない。


というわけで「誰のために書くのか?」っていうのは置いておくことにした。このブログには、ただひたすら「自分の楽しかったことや良かったもの」書きゃいいんじゃね、と。自分と、あと世の中の2人くらいの人の役に立つないようになりゃいいじゃん、って思ってます。

そんじゃねー。